第2章「自然淘汰」——明治日本の先見とその結果
一 「淘汰」という訳語
- 日本語の「淘汰」という訳語
実は日本語の「淘汰」という訳語の方が、進化論の本質をよく表している面がある。「淘汰」の原義は、米や砂金を水で洗って不純物を取り除くという意味だ。これはまさにネガティブな除去プロセスを表している。
明治時代の翻訳者たちは、進化論の selection に対して「選択」ではなく「淘汰」という訳語を当てることで、無意識に原語の英語が抱える論理的不整合を修正していた可能性がある。
Natural Selectionを「自然淘汰」と訳したのは加藤弘之で、1882年の主著『人権新説』で使用し、標準的な訳語として広めている。『種の起源』の最初の日本語翻訳は、1896年に立花銑三郎により『生物始源 一名種源論』として出版され、同書では「自然淘汰」という加藤の訳語がそのまま踏襲されている。
- 「自然淘汰」という用語の曖昧さと深さ
こんにち「自然淘汰」は「自然選択」と同義と見なされている用語であり、両者に大きな差があるとは思わない人も多いだろう。つまり、「選択」はポジティブで、「淘汰」はネガティブという区別があまりはっきりしていないのが現状である。
「淘汰」の例えとして必ず出てくるのが「ふるい」である。「ふるい分ける」という表現もある。いわゆる「取捨選択」という熟語のように、たしかに選ぶと捨てるとの両義性もある。
しかし、受動態にしてみればはっきりする。「淘汰された」と言った場合、明らかに「排除された」というネガティブな意味だ。そして「選択された」と言った場合、排除されずに残ったということになる。
つまり、「淘汰する」という言葉には「ふるい分ける」という両義性があるにはあって曖昧ではあるが、厳密にはネガティブな「排除する」という意味なのだ。
二 加藤弘之の洞察
- 加藤弘之の洞察
明治時代に自然選択を自然淘汰と訳した先人、加藤弘之の洞察には見事と言うしかない。
加藤弘之は進化論にひそむネガティブな排除主義という本質を掴んだが、Selection を選んだダーウィンの意図を尊重して、両義的で曖昧さのある「淘汰」を使って、Natural Selectionを「自然淘汰」と訳したと考えられる。
Natural Selection(selection + elimination)→ 自然淘汰 (選択+排除)
当時、英語ができる人間は極めて少数の知識階級であったが、10人中10人は疑うことも頭を煩わせることもなく機械的に「自然選択」と訳していたことだろう。それを敢えてせず、当時の漢和辞典から両義的な言葉を見つけてきた加藤弘之という男は非凡な人物である。
加藤弘之の「自然淘汰」という訳語からは、ダーウィンの思想についての並々ならぬ理解のほどがうかがえる。少なくとも加藤はダーウィン本人ですら掴み損ねたダーウィニズムの本質を垣間見た数少ない人間の一人であることは間違いない。
- 日本における「自然淘汰」と「自然選択」の頻度の歴史的傾向
明治〜1980年:自然淘汰 ≫ 自然選択(9割以上が淘汰)
1981年〜現在:自然淘汰優勢のまま、自然選択が徐々に増加(特に学術・教育現場)
「自然選択」が追い上げてきている理由には、戦後の英語教育の普及による ”natural selection”の直訳が広まったことが考えられる。「選択」の方が理解しやすい(ポジティブな響き)という理由もあったかもしれない。しかし、本質を見失うことになった。原語selectionに対する直訳の「選択」が忠実な訳であって、何ら問題ないとする教科書的な発想が支配的になってきている面もあるだろう。
もし、ダーウィンが「自然淘汰」という日本語訳を知っていたら、きっと驚き、そして喜んで支持したのではなかろうか。
- 英語圏ではどうなのか
興味深いことに、「自然淘汰」(自然排除)に相当するはずのNatural Eliminationという表現は、英語圏ではほとんど使われていない。ダーウィン以来、Natural Selectionという用語が学術的・教育的に完全に定着してしまったため、それに代わる表現が生まれにくくなっているようだ。
英語圏の進化生物学者に限らず、英語を母語とする人々にとって、Natural Selectionはすでに「そういうもの」として一義的に内面化されている。語の含意を問い直すためには、外側からの視点——たとえば他言語の訳語との対比——が必要だ。加藤弘之の「自然淘汰」は、そうした外側からの視点として今なお有効である。
三 洞察者の真意
- 洞察者の真意——加藤弘之という人物
しかし、ここで一つの冷厳な事実を記しておかなければならない。
加藤弘之は東京大学の初代総長であり、明治日本を代表する知識人だった。「自然淘汰」という訳語でダーウィニズムのネガティブな本質を見抜いた洞察者が、同時に、その進化論を人間社会の弱肉強食に適用して国権主義を正当化した人物でもあった。「弱肉強食の原始の時代に天賦の自由なるものはなかった」「自由権は、強者から弱者に恩恵的に付与される」『人権新説』(1882年)——これが加藤の社会進化論だった。
つまり加藤は、訳語においては「選択」ではなく「淘汰」を持ってくるという言語論的洞察を持ちながら、その排除主義の論理をそのまま人間社会における強者支配の正当化の根拠にそのまま利用していた。「自然淘汰」という概念は加藤の頭の中では、優勝劣敗、弱肉強食という反人権主義的なイデオロギーの基盤となっていたと考えられる。つまり、端的に言えば、「弱者淘汰」、「弱者排除」こそが彼の思想だったのではないか。そして、「自然淘汰」という言葉じたいは加藤のそうした反人権主義的な社会思想を表すプロパガンダとして流布したと見ることができる。そればかりか、ドーキンスが言うところの「ミーム」としてもっと広範に機能してきた可能性もある。
これは本書全体の論旨にとって示唆的な事実である。「自然選択」という用語の問題は生物学や哲学の領域にとどまらず、社会思想や政治思想にまで容易に広がる潜在力を持っている。実際、加藤弘之は1870年代前半まではロック+ルソー系天賦人権論を積極的に紹介・支持していた。それが、1882年の『人権新説』でスペンサー・ダーウィンの社会進化論にひらりと転向し、「天賦の自由など原始時代になかった」とそれまでの自分の主張を公然と否定したのである。日本の社会思想史上、加藤ほど鮮やかな転身を遂げたインフルエンサーはいなかった。21世紀のわれわれが「加藤弘之はダーウィニズムを誤解した、悪用した。」と言うことはあまりにもたやすい。本書は進化理論の用語がシームレスにプロパガンダやミームになる、そのメカニズムも解明する。
- 次章への橋渡し
加藤弘之が日本で「自然淘汰」と訳した同じ年(1882年)、ダーウィンは死去した。ダーウィンは自分の造語の欠陥を知りながら、生涯それを変えなかった。一方、ウォレスは「つまずきの石」と警告しながら、けっきょく、スペンサーの語「最適者生存」をダーウィンに勧めた。そして加藤は卓越した訳語を選びながら、それを社会思想に利用した。三者三様の「不完全な正直さ」——次章では、その中でもウォレスの警告の内側に踏み込む。


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