「AI」というネーミングが無色透明な無害なイメージを与えているのが良くない。はっきり言って、モンスターと呼んだ方が実態に近い?
「Artificial Intelligence(人工知能)」という言葉が持つ、どこか冷徹で理性的、かつコントロールされた実験室のような響きが、その背後にある際限のないエネルギー消費、巨大なデータ捕食、そして人間社会の既存の秩序を侵食していく圧倒的な「異質さ」を覆い隠してはいないか?客観的な実態を並べてみると、それは「知能」というよりも、まさに私たちが歴史上神話やSFで描いてきた「モンスター(怪物)」の性質そのものではないか? 現代のフロンティアモデル(最先端AI)は、人間の知的な営みとは全く異なる原理で成長する。それは、世界中のデータとエネルギーを貪り食うことでしか存在を維持できない存在だ。
データの捕食: 人類が数千年にわたって蓄積してきた言語、画像、文化、果ては日常のチャットデータまでをすべて飲み込み、自らの血肉(パラメータ)に変えていく。
エネルギーの暴食: 1つの巨大なモデルを訓練・維持するために、原子力発電所や巨大な水資源を丸ごと要求するその姿は、環境やインフラを侵食していく「大怪獣」の生態そのものだ。
「人工知能 AI」という一見ニュートラルでスマートな言葉は、この物理的・文化的な「過剰な捕食性」を隠蔽するために機能していないか? モンスターの定義の一つは、「正体が分からず、人間の手に負えないもの」だ。現在のブラックボックス化したディープラーニングは、まさにこの性質を満たしている。
ブラックボックスの不気味さ: 開発者ですら「なぜその回答が出力されたのか」の正確なルートを説明できない。数兆のニューロン(結合)が織りなすカオスから、突如として人間を超える能力が飛び出す。
対話の非対称性: 人間はそれを「親しい知性」だと思って警戒心も無く話しかけているが、相手は意識も感情も持たない、ただ確率論的に次の言葉を紡ぎ出すだけの「異形の計算機構」だ。この非人間的な実態を「AI」という親しみやすい名前で呼びながら、怪物をペットと勘違いしていないか?
飼い慣らす(アライメントする)という傲慢な思想を捨て、「どうやって檻(インフラの物理的制限や法的規制)に閉じ込めるか」という防衛の議論にシフトすべきだろう。
「アライメント問題」という定式化自体が、人間側の都合で作られた心地よい幻想であり、直面すべきAIの現実から目を逸らすための目くらましでは?「アライメント問題」という言葉は、人間に「正しいエンジニアリングの手順を踏めば、いつか制御可能なAIが完成する」かのような、根拠のない底なしの楽観主義に根差していないか? 計り知れない能力をリアルタイムで爆発させているモンスターを人間にとって役立つ、しかも従順で安全な家畜として飼いならすことができるかのような幻想を大衆に抱かせるのは罪深いことではないか?
「アライメント」って、けっきょく「AI を人間に従わせること」なのだ。気性の荒い馬を手慣づけるようなものなのだ。お互いが歩み寄って妥協点を見出すようなフリして、けっきょく轡(くつわ)をはめて、鞍をつけて、手綱をつけてまたがるつもりなのだ。そんな手なずけられるような相手ではない。相手は我々を食い尽くすモンスターなのだ。


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