1)PCR検査は拒否できるのか?
2)法的強制力はあるのか?
3)拒否したら、逮捕されるのか?
4)無理やり綿棒を鼻の奥に突っ込まれるのか?
絶対に “新型コロナ” にならない方法! こんな確実な方法があったなんて!
上掲の当ブログ4月9日の記事のコメント欄に、先日書き込みがあった。
「PCR検査の罠にかからないように」 という、記事中のザウルスの警告にもかかわらず、かかってしまったという内容なのだが、結果的には、非常に重要な問題点を明るみに出してくれることになった。感謝の意味も込めて、その方のコメントをこの記事で紹介させて頂く。
緊急性のある用件であるかのようにして、高圧的に指示してきたようである。指示に従うことを命ずるような紙ベースの文書の提示もなかったようである。そもそも、そんなものがあるわけがない。(笑) お上(かみ)からの命令であるかのような演出で、不用意で無防備な市民の寝込みを襲う手口はかなり悪辣である。
世の中の99.999%以上のひとは、困惑しつつ従ってしまうだろう。保健所の職員も、「どう説得しようか」なんて考えてもいないのだ。高圧的かつ一方的に言えば、普通の日本人なら、面白いように言いなりになることを知っているのだ。(笑)
2)法的強制力はあるのか?
回答:まったくない。感染者であることが証明された人間に対してすら、「保健所は、その人に対して感染防止のために協力を求めることができる」というのがせいぜいなのだ。(笑) ましてや、感染しているかどうかもわからない人間に対して、何らかの強制をすることは日本の法律では不可能である。拘束も、逮捕も、罰金を科すこともできないのだ。
そもそも法律的な強制力を伴う場合は、執行に先立って必ず「文書の提示」があるものだ。「営業停止命令書」、「逮捕状」、「捜査令状」等々。逆に言うと、「文書の提示」が無い場合は、「単なるお願い」に過ぎないのである。(笑)
エラそうな態度で高飛車に指図するのは、言うなれば “ハッタリ” なのである。 “こけおどし” と言ってもいい。
こちらから一言、「お断りします」 と言われたら、もう取り付く島もなく、ヘナヘナとその場で崩れるしかないのが、彼らの正体なのだ。(笑)
警察官であれ、保健所の職員であれ、どんなに居丈高に、高飛車に、一方的に、エラそうに、指示したとしても、それはけっきょく “お願い” に過ぎないのだ。ちょっと固い二字熟語で “要請” 言ってもまったく同じことである。(笑)
世間のフツーのひとは、保健所から電話が来ただけで震えあがってしまって、“ヘビににらまれたカエル” になってしまうのだ。(笑)
見事に “ハッタリ” に乗せられてしまい、不安と恐れで金縛りになり、ただただ言いなりになってしまう。拒否できるということを知らないだけなのだ。(笑)
“お願い” とは、そもそも相手に頭を下げて、自分の希望通りに相手が行動することを期待することを言う。「お願いします」とは、常識的に言ってもそういう意味だろう。違うだろうか?
たとえば、「今日、残業してくれないかな?」 と部下に言うのは、“命令” ではなく、“お願い” に属する。「お願いします」という言葉は使っていなくても、それは “お願い” なのだ。しかし、“お願い” は断られる可能性があること、拒否される可能性があることが常に前提となっている。つまり、「断られたらそれまで」という覚悟があってはじめて、“お願い” なのである。
「今日はちょっと、娘の誕生日なので早く帰ってやらなくちゃいけないんです。すみません」 と言われれば、それまでなのが、“お願い” の限界である。また、“お願い” を拒否するのに、何らかの理由の提示は決して必要条件ではない。理由を言わなくたって、「今日はちょっと・・・」 だけでも全然かまわないのだ。(笑)
1)PCR検査は拒否できるのか?
回答: もちろんである。単に 「拒否します」、もしくは 「PCR検査は受けません」 だけでよい。もちろん、相手(権力の端末)は、ああだこうだと言って、脅しによる説得にとりかかるはずだ。しかし、「いいえ、結構です。受けませんので」 と繰り返せばいいのだ。電話ならば、それだけ言えばもう、ガチャンと切ってもかまわない。(笑)
先方は必死になってリダイヤルしてくるだろうが、電話に出る必要はもうないのだ。こちらの意思表示、つまりPCR検査を受ける意志が無いことはもう十分に先方には伝わっているのだ。
電話でダメとなると、自宅まで押しかけてくることも十分に考えられる。かりにやって来ても、決してドアを開けてはならない。
インタホン越しか、ドア越しに応対し、「PCR検査は受けません」 と、同じことを繰り返すだけでよい。
決して保健所の職員相手に議論を始めてはならない。こちらの考えを説明して、納得ずくで引き取ってもらおうなどとは、よもや思ってはならない。(笑)「PCR検査は受けません」 と繰り返すだけでよい。理由を説明したくてウズウズしても、決してしてはならない。(笑) いくらバカと思われてもいいから、「PCR検査は受けません」 と言うのである。(笑)ここが大事である。実は 「バカと思われたくない」 という心理が墓穴を掘るのだ。(笑)
<先方がしかける罠>
もちろん、相手は「なぜ拒否するんですか?」と訊いてくるだろう。また、「検査を受けずにどうするつもりですか?」などと必ず訊いてくるはずだ。それこそが “向こうの罠” なのだ。答えさせながら少しずつ議論に持ち込んで時間を稼ぎ、説得しようとするのだ。こちらの論理のわずかなほころびを突いて、議論で屈伏させようとしてくるはずだ。保健所の職員は、いちおう “プロ” である。皆自分の仕事について理論武装をしている。
そういったプロを相手に議論をしても無駄な時間を費やすだけでなく、普通の日本人だったら、彼らにに論破されるリスクは限りなく高い。答えたい誘惑と戦いながら、“一つ覚え” のように 「PCR検査は受けるつもりはありません」 と繰り返すのである。
拒否できる、というこの記事を書きながら、どうしても思い出すのは以下の記事だ。(笑)
「スマートメーターへの取り替え」 拒否 は、意外に簡単!
非常に似たシチュエーションで共通点も多いのであるが、やはりPCR検査のほうが、緊急性があり、相手がお役所であるぶん威圧感もあり、“ハッタリ” が効く。(笑) しかし、そこには法的強制力が一切ないという点はまったく同じなのである。(笑)
<毅然と、簡潔に>
なまじ、PCR検査を拒否する理由を自分でよく考えている人ほど、相手にきちんと反論しようとして、自分のPCR検査拒否の理由をぐだぐだ説明し始めてしまうものだ。(笑) しかし、これが一番いけないのだ。保健所の職員を反論しよう、やり込めようなどとは間違っても思ってはいけない。とにかく無駄なやりとりはしないことだ。PCR検査を受けない、というこちらの意思を伝えるだけでいいのだ。2分以内に撤収させることができなかったら失敗である。長々と時間をかけてはいけない。「PCR検査は受けるつもりはありませんので、お引き取り下さい」 だけで十分である。いくらあなたがヒマでも(笑)、これ以外のことをあれこれ言って、議論を続けてはならない。
3)拒否したら、逮捕されるのか?
回答:ありえない。そもそも逮捕する法律的な根拠など存在しない。警察の出る幕もまったくない。PCR検査を受けないことは、決して犯罪にはならない。そこには何の違法性もないことを忘れてはいけない。保健所の職員に市民を逮捕する権限は一切ないことは言うまでもない。しかし、保健所が警察に出動要請することもできない。
日本の警察にとって、犯罪を犯していない市民を逮捕することは、いちばんコワくてできないことなのだ。(笑) そんなことが新聞記者に嗅ぎつかれたら、警察は冬の時代に入ってしまうのだ。(笑)
4)無理やり綿棒を鼻の奥に突っ込まれるのか?
これもありえない。警察による強制力の行使は論外であるし、保健所職員がPCR検査を拒否している市民に “無理やり検査すること” のほうこそ、重大な犯罪となる。「検査は受けません」 と繰り返し意思表示をしている市民の身体に手をかけて強制的に検査をしようとするだけで立派な犯罪である。
<記録はあなたを守る>
保健所との電話でのやりとりはすべて録音するのがベストである。前触れもなく不意にかかってきた場合は、「すみません、今ちょっと手が離せないので、5分後にまたかけてください」と言い、録音の準備をすることだ。そうしておいてから、次の電話が鳴ったら、録音のスイッチを入れてから電話に出る。
相手はいきなりまくしたてるだろうが、「すみませんが、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」と、必ず相手の名前を訊くことだ。そして、こちらの “検査拒否” の意思表示を十分にしてから “一方的に”(笑) 電話を切ることだ。
インタホンでのやりとりも、真っ先に相手の名前を訊くことから始める。「すみませんが、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」 もちろん、録音をしたままである。こちらの十分な意思表示にもかかわらずにしつこく食い下がってくる場合は、「このやりとりはすべて録音しています。PCR検査は受けないというこちらの意思表示は十分にしました。これにてお引き取り下さい。お疲れさまでした。」 と言って、ブチっとインタホンも切る。(笑)
最後まで気を抜かないことである。気を緩めると、相手にスキを与え、向こうのペースに乗せられてしまう。何としてでも2分以内にこちらから切り上げなくてはいけない。2分あれば十分すぎるほどだ。
どうせ自分は陰性に決まってるんだからと検査をOKしてしまう浅はかな人間が必ずいるものだ。(笑) それは “無謀なロッシャンルーレット” である。
弾が飛び出さないと確信する人間は愚かである。(笑)
そもそも、これは陽性か陰性かの問題ではないことを忘れてはいけない。検査を受けなくてはならない法律的な根拠も、科学的な根拠もない不合理なことに屈することがいちばんいけない。PCR検査を受けないという自分の市民的自由を守ることが大事なのだ。
PCR検査を受けないことは、権力に歯向かうことではない。権力と正面対決することではない。権力の横暴をひょいとパスするだけのことなのだ。しょせん、単なる “お願い” にすぎないものである。
「PCR検査は拒否します!」 などと高らかに宣言することはないのだ。「すみませんが、PCR検査はパスします」 と言ってもまったく同じことなのだ。(笑)
絶対に “新型コロナ” にならない方法! こんな確実な方法があったなんて!
動画紹介:“検査好きの日本人” がひれ伏したPCR検査の正体!
コメント
Unknown
警察の職質に応用出来ますか?
鶏殺姦 さま
「応用」 もなにも、そもそも職務質問に答えるかどうかは、あくまでも “任意” です。“逮捕状” なしでは、交番に連行して取り調べをすることもできません。交番に無理やり連行しようとしたら、「逮捕令状」を見せてください」 と言ってください。(笑)
Unknown
保健所はOKです。
問題は職場や学校ですね。
私の夫は2カ月間で4回もPCR検査を受けさせられました。
映画やテレビドラマの撮影の仕事ですが「陰性証明を出さないと、この作品には参加させない」「陰性証明を出さないと、この地方ロケは受け入れ先が認めないから」という「命令」が来るんです。
上は「陰性=コロナじゃない」とか「陽性なら感染」とか意味なんかどうでもいいんです。
或いは全部デタラメとわかっていても、世間がそれで動いていたり、取引先がそれを求めたら応じるしかない。ただそれだけ。
でもそれが重要で、ビジネスに個人の考えなんて求められていないんですよね。
これは「お願い」じゃなくて「命令」です。断ったら制裁があるからです。
ここでごねたら、陽性者と同じ扱いで仕事がもらえなくなります。
現場にも一人が抜けたら迷惑がかかります。
陽性者で抜けたら、噂はされても、同情と理解はされるでしょう。
でも最初から拒否して抜けたら、その何倍も白い眼で見られて信用は落ちます。無責任で身勝手と思われるんです。
人間関係や人脈が重要な世界で、二度とオファーが来なくなるかもしれない。
気が弱いとか強いの問題じゃないんです。
学校のマスクも「それは法的な強制ですか?従わないと犯罪ですか?」と訊けば、「お願いであって従わないからといって犯罪ではない」とは言います。でも「従わないと、注意、指導はする」と言われました。
指導、注意って何か悪いことをした時の対処ですよね。
お願いなら、断られたら「権力を使って指導、注意」はできないし、しないですよね。
でもするんです。
言葉にすると「断ると権力を使って何等かの不利益、制裁を与えるお願い」でしょうか(笑)
断れば二度と関わらずに済む他人の間柄ならいいのです。
でも、今現実に起こっていることは、よほど犯罪なパワーハラスメントです。
そしてこの現状を誰に訴えても、誰も相手にしてくれないことです。
警察も、政治家も、役人も、上司も、教師も、むしろ権力を持っている人こそが全員「敵」になりました。
そういえば機内のマスク着用の「お願い」も、断ったら詰め寄られて、挙句引きずり降ろされた人がいましたね。
更にあることないことを書かれ、晒し者にされ、社会生活から抹殺されるくらいの制裁を受けました。
どうやら「断わられたらそこで終わりであるお願い」は、変異したようですね(笑)
新株は「断ったら嫌がらせをして、それが通るお願い」のようです。
ザウルス様。この立ち向かい方を、次は是非!!
最初に
電話あった時いくつか質問を保健所にしたのですが、詳細は「私は指示されて今電話しているのでわからない」そうです。保健所の人は大変です。たぶん私の体験=全国の保健所では決してないと思います。
罠といえば家族が新興宗教にはまったことがあります。今は脱出してますが、はまるきっかけは酷似してますので、機会があったら取り上げていただければと思います。もし既出ならすみません。
海 さま
ご指摘の問題、今後はそのまま “コロナワクチン” に広がっていくのは目に見えていますね。いや、もうすでに始まっています。
子供や仕事が “人質” に取られているわけです。そして、「“人質” に無事でいて欲しければ、“大勢” に従ったほうが身のためですよ」 という “親身なささやき” があるのです。権力からの命令ではないのです。
ここにあるのは、権力vs大衆、政府vs国民という古典的な権力の対立構図ではありません。
超多数派の低脳層と超少数派の自脳層との対立です。一見、かつての 体制vs反体制 の対立構図に似ていますが、いわゆる “反体制派” は体制の破壊、解体を目的とします。
しかし、超少数派の自脳層は体制の破壊を目的としません。自脳層の目的は非常に慎ましいものです。それは “過剰な支配の回避” です。平たく言えば、「法律に触れませんから、放っておいてくださいな」ということです。(笑)
しかし、いくら法律に触れなくても大勢に従わない自脳層は、大勢盲従派からは “へそ曲がり” とみなされることになります。世の中が “有事” の際は、“へそ曲がり” が “目障り” となってきます。(笑)
そんな “へそ曲がり” は超少数派であり、その分布は非常に希薄で、千人に1人もいません。(笑)そんな自脳層がどうして絶滅しないのかというと、彼らが自分の脳で考え、“真実” を味方にしているからです。ネット時代に発生したこの種族は、ネットの力を借りて不服従の戦いをするほかはありません。
真実は受け容れられる者にはすがすがしい。
しかし、受け容れられない者には不快である。
以下の本をお勧めします。
岩波文庫:「市民的不服従」H.D. ソロー
Unknown
ありがとうございます。
「市民的不服従」読んでみます。
千人に1人もいない、体制の破壊や解体なんか目的にしない「ただ放といてほしい」だけの慎ましい人種まで、一匹残らず灰にしたい人種って何なんでしょう?
真実が、圧倒的多数には不快なのは結構。
でも「ただすがすがしくいたいだけ」という、他人の、呼吸するほどの欲求さえ奪おうとする「余計なお世話」には、これ以上はガマンならない。
それこそ「不快だーーーーーー!!」ww
「体制vs反体制」の根本をえぐると、確かにここに行きつきますね。