「寄り添う」 と言えば、日本人は簡単に騙せるぞ!イチコロだぜ! 殺し文句なんだよ、ハハハハハハ!
特に年寄りなんか簡単に騙せるよ。自分が大事にしてもらえると思っちゃうのさ。
年寄りでなくても、みんなそうさ!
障害者とか、被災者とかって、いういわゆる “社会的弱者” の場合、「寄り添う」 って言われると、前のめりになってもう見境なく飛びつくよ。「被災者に寄り添う」 とか 「障害者の気持ちに寄り添う」 なんて言われると、もう両目が “うるうる” だよ!
自分たちだけが “割を食っている” と思っている人間ほど、「寄り添う」 なんて言われると、やっと “救世主” が現れたなんて思っちゃうわけさ。だから、うんと言ってやれよ、「寄り添う、寄り添う!」 ってさ!
「“引きこもり” に寄り添う」 とか、「通り魔殺人の “犯人” の気持ちに寄り添う」 とか言うと、心優しい人道主義者のイメージをアピールできるぞ!
いくら言ったって、どうせ口先だけなんだからいいんだよ。そう言っておけば、いい気持になって、文句も言わなくなるんだよ。なついて静かになるんだよ。言葉って不思議なもんさ!
まあ、政治家なら、大いに使った方がいいね。「寄り添う」 を連発していれば、票も集まるし、金も集まるよ!
国会議員だって、県会議員だって、県知事だって、市議会議員だって、「有権者の皆さんに寄り添う政治」 とか言っていないとダメだね。首相ならばゼッタイだよ。
政治家なら、“馬鹿でもチョンでも” 「寄り添う」 って言っていないと有権者に相手にしてもらえないよ! 演説やブログでも大いに使うことだね。
とにかく、大衆はいい気持になってなびいてくるんだから、大いに使ってやるんだよ!いいじゃないか、それで無知な人間は無視されていないと思って気持ちよくなるんだから、世話ないよ!
医者や介護士だったら、「患者さんに寄り添う医療」 とか 「患者さんの心に寄り添う介護」 とか言ってればいいのさ。効果てきめんだよ、ホント。
心理療法士やカウンセラーなんていったら、率先してこの 「寄り添う」 を使わないとね。そうそう、ソーシャルワーカーとか民生委員とか称している手合いも、この 「寄り添う」 を、 使って使って使いまくらなくちゃあね。
なんか “信頼感” が出るんだよ、この一言で! 不思議とね! 「このひとは裏切らない」 「このひとは優しい誠実なひとだ」 「自分は無視されていない」 って、“勝手に” 思い込んでいるんだよね。面白いほどにね、ハハハハハ! 日本人は単純だから、こういう情緒的な無内容な言葉に弱いんだよ。だから、徹底的にこれを使いまくってやりゃいいのさ、へへへへへ。
教師や保育士や塾の経営者も 「生徒に寄り添う指導」 とか、「子供たちの気持ちに寄り添う保育」 とか何とか口癖のように言うことだね。
これにさらに、「同じ目線で」 を付けると申し分ないね。
「生徒と同じ目線で」 「寄り添う」
「患者さんと同じ目線で」 「寄り添う」
「被災者と同じ目線で」 「寄り添う」
「障害者と同じ目線で」 「寄り添う」
「お客様と同じ目線で」 「寄り添う」 って具合だよ。
サービス業全般でも使えるんだよ、これが。競合他社との差別化をして、うちのほうがいいですよってアピールしたかったら、「お客様に寄り添うサービス」 ってやらなくちゃダメだよ。保険のおばちゃんや弁護士だって、「クライアント様の気持ちに寄り添って」 とか何とか言えば顧客も増えるさ。
葬儀屋だってそうさ。「ご遺族の気持ちに寄り添って」 とか何とか言ってやりゃいいんだよ!ゼッタイ客が増えるって! 今流行りの遺品整理士なんかもそうだね。「ご遺族の心に寄り添うサービス」 とか何とか言ってないとダメだよ。逆に、そう言ってないと客が減るよ!
客だけじゃないよ。宗教団体の信者だってそうさ。お寺の坊主だって、「檀家の心に寄り添って」 とか言わないわけにはいかないぞ。教会の牧師や神父だって 「信者の心に寄り添って」 とか言わないとな、これからは!
そう言ってないと、相手にされなくなるんだよ! 見向きもされなくなるんだよ! だから、天皇陛下だって使ってるだろうが!
そうそう、平成の天皇から使ってるぞ! 「国民が心を一つにして寄り添っていくことが大切」 とか何とかね。ほら、あの東日本大震災のときだよ。
そんで、代替わりしたって、ほれ、息子の方もちゃっかり使いまわしてるじゃないか! 「国民を思い、国民に寄り添う」 とか何とかさ! ほらほら、即位の時のセリフだよ!
国民の人心を掴むための殺し文句をちゃーんと使ってるんだよ! さすがだね。ツボを心得ているよね。日本人のどこをどう押せばコロリとなるのか、ちゃんとわかってるのさ!
とにかく、いい気持になってなびいてくるんだから、大いに使ってやるんだよ! “罠” だって、別にいいじゃないか! 日本人ならそれで誰でも気持ちよくなるんだからさ!
「 寄 り 添 う 」
なんか “信頼感” が出るんだよ、この一言で! 不思議とね! 「このひとは裏切らない」 「このひとは優しい誠実なひとだ」 「自分は無視されていない」 って、“勝手に” 思い込んでいるんだよね。面白いほどにね、ハハハハハ! 日本人は単純だから、こういう情緒的な無内容な言葉に弱いんだよ。だから、徹底的にこれを使いまくってやりゃいいのさ、へへへへへ。
「寄り添う」 と言えば、日本人は簡単に騙せるぞ! イチコロだぜ! 殺し文句なんだよ、ハハハハハハ! ガンガン使おうぜ!
コメント
気持ち悪い
適切な、騙し文句です。現役で働いていた時に使っていたら、もっと営業成績をあげられたかもしれません。惜しいことをしました。
普通の日本人は、幼いころから親の愛情を一身に受けず、まともな精神に育っていませんので、大人になってからでも、気持ちの悪い「寄り添う」なんて、リップサービスに騙されて、財産も命さえも奪われていくのでしょう。
愚民には、良く効くでしょうね。
ザウルスの法則
“ウソ” は見抜けない者には心地よい。
しかし、見抜ける者には不快である。
ザウルスの法則
Unknown
>“ウソ” は見抜けない者には心地よい。
>しかし、見抜ける者には不快である。
めちゃ納得です。
不快なことばかりで疲れます。
そうかな?
人は言葉だけでなく、その時の態度や状況などにより、その人となりを判断します。
あなたが思ってる程人々は愚かではありません。
羊 さま
羊さんは自分は騙されないと思っているのでしょうか?わたしは自分も含めて、人間は愚かで騙されやすい動物だと思っています。
ちなみに、羊は動物の中でも特に “愚か” です。なぜならば、家畜として常に保護され、自分の頭で判断せず、ただ群れて行動するからです。
人間でもそういうひとたちがいませんか?そういうひとたちは自分を騙す人間なんかいないし、たとえいても自分は騙されないと思っているものです。
やっとわかりました
寄り添う、という文字面を新聞やネットで見るたびに気持ち悪いと思っていましたが、その理由がやっとわかったような気がします。
気持ちよく思う人と、気持ち悪く思う人が見事に分かれる言葉じゃないでしょうか。
mico さま
厳密に言えば、気になる人と気にならない人でしょうね。 「寄り添う」 という言葉があ特に気にならない人は、すでに抵抗なく受け入れているのです。て、気になる人は、引っかかって拒絶したく思っているのでしょうね。
そして、世間の圧倒的多数のひとは気にならないのです。気になる人は絶望的少数派です。
Unknown
寄り添う事が望ましい
その様に努力すべきだ
と 言う事だと思います
情報難民を救いたい!
初めまして。
「寄り添う」というフレーズ…少なくとも、庶民が日常的に近隣や職場などの生活環境で、関わり合っていた”昭和年代”には耳にすることは無かったように想えます。
戦後、日本を日本人を”奴隷化”する戦略を着々と進めてきた勢力(似非日本人も含めて)は、あらゆるミッションで日本人の健康を、頭脳から弱体化・破壊し現在に至っていますが…現在は、最終段階?脳と思考を破壊して総仕上げにみえます。
核家族化し、歪んだ教育で分断された日本人は、孤立し、孤独な生活を余儀なくされ、例え経済的には何とか成り立っていたとしても…精神的に孤立化した故に、簡単に詐欺被害者にもなり易くなっています。
この”孤立化”こそが、日本人殲滅作戦の究極の目的に思えてなりません。
奇っ怪な事件や災害が溢れる世の中…情報を得られる環境のコチラの読者の私たちは”情報難民”の方々を救う使命が在るように思えてならないのですが…。
光 さま
なるほど。
「情報難民の方々を救う使命が在る」 んですか、「コチラ」 の私たちには?
そして、“情報難民” の方々に “寄り添う” 使命があるのでしょうか?
ザウルス様へ
コチラの皆様に限らず”情報難民”の方々には、自分が知り得た情報の中で、特に”命に関わる”や生活上”緊急性の高い”情報は、提供してさしあげるのが『情』ではないか?と思っています。
但し、相手の”受容能力”に由ってですが。。。私自身は、家族や友人や知人の能力と云いますか…情報の内容に関心が在るか否か?を見極めて知らせております。
“使命感”は自発的なので、決して「救うべきだ…」などと申し上げるつもりも権利もありませんが。。
「知らせていれば救えたかも…」と自身が後悔しない為でもあります。
御不快を与えたのであればお詫びいたします。
光 さま
「不快」 ということは特にありません。
「情報難民の方々」 を 「救う」 ために、 「相手の受容能力によって」 “相手の目線で” “寄り添って” いらっしゃるんだな、と思いました。
がんばってください。
Unknown
面白くもないのに一人でハハハハハって虚しくなんないの?
面白くもないのに さま
本日 2019/10/22、即位礼正殿の儀が執り行われ、天皇陛下のスピーチがありました。例によって 「国民に寄り添う」 が出てきましたね。宮内庁のスピーチライターはこのフレーズを必ず入れるようにしていることは間違いないと思われます。
このフレーズが気にならず、自然に聞き流している日本の一般大衆には、このフレーズの重要性、深い意味、面白さは理解できなくて当然です。
Unknown
まったくもっておっしゃる通りだと思います。最近はこの言葉をそこらじゅうで見かけたり聞いたりします。もう、うんざりですね。
山田一郎 さま
「寄り添う」 というこの言葉を何の抵抗もなく聞き流し、読み流しているということは、この言葉によってすでに染脳されているということです。
「寄り添うことはいいことだ」 という “寄り添イズム” のイデオロギーに染脳されているのです。
“寄り添イズム” とは、「どんな介入・干渉も善意に基づくものである」 という、ほとんどカルト的なイデオロギーです。そして、「善意に基づく介入・干渉なんだから拒否すべきではない」 「寄り添うひとはエラい」 ということになります。
“寄り添イズム” は “寄り添いレース” を惹き起こします。“より”寄り添ったように見える方が “勝者” となる奇妙なレースが政界、経済界に横行しています。