『メディア廃棄宣言』深掘り座談会 前編 〜「冤罪」の今日的意味〜

昨年11月に高橋清隆著の「メディア廃棄宣言」が出版された。
以下の記事は、昨年12月に収録した座談会「メディア廃棄宣言」の企画と当日の司会を務めた山田宏道氏が執筆したものであり、ザウルスはここでは場所の提供だけをしている。
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寺野ザウルス氏、 高橋清隆氏、 司会:山田宏道

『メディア廃棄宣言』深掘り座談会 前編 〜「冤罪」の今日的意味〜

コロナ以降、真のジャーナリストが不在であることが明らかになり、陰謀と陰謀論工作のはざまで、時代を見抜く能力は誰もが身につけたい力となりました。そんな中、希望の書として、反ジャーナリストの高橋清隆さん渾身の書き下ろし『メディア廃棄宣言』が発売されました。活動18年の集大成であり、経験から培われた独自視点で綴られています。そこで、同じく長年にわたり、時にユーモアを交えながら真実の検証と発信に注力されてきたザウルスさんに登場していただき、著書を深読み・深掘りしていく座談会を企画しました。
前編「冤罪の今日的意味 / 後編 トランスヒューマン時代の到来  の各5パート、全10パートの構成となっています。
  前編 :  part1 ~   part5 
  後編 :  part1   ~   part5
(※当記事は前編を紹介し、次の記事では後編を紹介します)
ふたりの真実を探求する姿勢は、単に真偽を見極めるだけでなく、考え抜くプロセスの重要性や発想の転換も教えてくれます。過酷な時代に突入しましたが、善悪や真偽の二元論を超え、ピンチをチャンスに変えていきましょう。(山田宏道)

前編のサブタイトルは〜「冤罪」の今日的意味〜としました。
『メディア廃棄宣言』では約3分の1を割いて冤罪の可能性についての再検証が行われています。その意図はマスメディアの悪質性を明らかにする為でした。しかしながら、メディアと冤罪というテーマは見誤れば犯罪者を擁護しかねない案件でもある為、ザウルスさんは別角度からの慎重を期す議論を展開していきます。とはいえ、アクリル板未設置がコロナ死の原因と司法が巨額の賠償を命令し、大量死を産んだ政府がインターネット上の偽情報を法規制する時代ですから「冤罪」を検証する今日的意味はこれまでにないものであります。『メディア廃棄宣言』深掘りスタートです。 前編 Part 1

 前編 Part 2


本動画をYouTubeに限定公開したところ、コロナワクチンの批判をしていないにもかかわらず、登録者100人にも満たないチャンネルでアップした翌日に削除されていました。X(Twitter)で事実を書いてもデマ情報のように扱われる経験をした人も多いと思います。
大手マスメディアがプロパガンダや誘導装置であるとしたら、これは当たり前のことかもしれません。しかし、清隆さんは特別な裏情報が無くとも『ニュース研究』を通じて逆に先を見通せると長年訴えています。一方、ザウルスさんはそのパターンを熟知しつつも、地方紙が掟を破る真のスクープは存在すると、メディアの可能性を探り食い下がります。どちらも時代の深層を読むことの地道さを痛感させられるアプローチです。どちらの視点も重要であると感じずにはいられません。皆さんはどう考えますか? 前編 Part 2


冤罪の検証という大テーマの議論の中で、神戸連続児童殺傷事件をめぐっては、なんと著者の清隆さんとザウルスさんの見解は真っ二つに割れます。しかし、こんな時こそ「二項対立を超えられるか?」という挑戦を忘れてはならないでしょう。分断統治支配は、真実に多くの嘘を混ぜて誘導する——そんな話を聞いたことがありますよね。
「●●が嘘をつくはずがない!」といった思い込みは危険だ、という意見もありますが、時代の先を見通すには「経験と感性を総動員する神経戦」が求められるのかもしれません。
清隆さんは、植草一秀教授の冤罪事件を機にメディアが凶器になり得ることを確信し、ザウルスさんは、ボストンマラソン爆破事件を通じてクライシスアクターの存在を明示しました。それぞれ独自のセンスや思想を持ちながらも、“汗と努力と根性”で時代の深部をえぐってきたのです。
物事の真偽よりも、もっと大事なことを、ふたりは紡ぎ出していきます。ぜひ、ご覧ください。 前編 Part 3

 前編 Part 4


「ザウルスの法則」は goo、「高橋清隆の文筆館」は Livedoor のブログサービス上に成り立っています。
趣味などを扱う記事が主流の中で、お二人はすでにマスメディアに対抗するプライベートメディアを実践されていました。国内発祥のサービスだからか、今のところYouTubeとは違い、ブログ記事が削除されることはありませんでした。
また、お二人のブログを通じてつながった読者の方々には、SNSのフォロワーやチャンネル登録者とは異なる、精神的なつながりがあるように感じます。それは、昭和流の深い繋がりをもたらすコミュニケーションを継承した賜物とも言えるもので分断を乗り越える智慧であると確信します。
そんなふたりの真骨頂は、例えば流行り言葉の再定義です。
自ら言葉の罠を回避するよう全神経を集中させているように見えます。
発信力を補う基本スキルとしても、ふたりのセンスとユーモアは非常に参考になります。
どうぞメモをご用意してご覧ください。 前編 Part 4

 前編 Part 5


政府やメディアが民意を無視して暴走したとき、「これは民主主義への挑戦だ!」などと言われます。しかし、清隆さんは「そもそも民主主義こそが強靭な支配統治システムであり、その機能にはメディアが必須だ」と指摘します。
悪法を通すためのツールとしてメディアが利用されていることを、なんとなく感じている人は多いでしょう。4月1日から情報流通プラットフォーム対処法が施行されます。
「大規模プラットフォーム事業者」には、goo や Livedoor も該当します。つまり、ザウルスさんや清隆さんのブログも、規制の対象となる可能性があるのです。第37条には「各プロバイダに最大1億円の罰金が科される」と明記されており、各社自主規制が加速するでしょう。
この時代を乗り切るには、正面突破の正攻法だけでは厳しいと思います。回避しようと隠語を使ったところで言霊力を削ぐ言論も行き詰まることでしょう。だから今こそ、言葉の使い方を洗練させることが求められていると感じます。
不当な監視に繋がる法改正が矢継ぎ早に行われる昨今、それに歯止めをかける集合意識が醸成される事を願っています。 前編 Part 5


前編 〜「冤罪」の今日的意味〜 おわり

高橋 清隆 著『メディア廃棄宣言』 好評発売中


コメント

  1. T より:

    Unknown

    これはひどいw

    ザウルスさん、貴方は対談には向かないわ。

    特に後半パート5は聴くに耐えなかった。

  2. 土星 より:

    最後まで視聴しましたが

    見た目ではいちばん怪しく見えるザウルスさんの言うことが地に足がついていて3人の中でいちばんまともに思えました。冤罪のことにしても安易に相手に同調しないし、後編の、メディアは情報インフラということにしても、さすがだと思いました。

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