「エジソンズゲーム」 電気が世界を覆う前夜を描く作品 星3つ ★★★☆☆ ネタバレあり

「エジソンズゲーム」 電気が世界を覆う前夜を描く作品 星3つ ★★★☆☆ ネタバレあり

 

「ザウルスでござる」 というこのブログでは 「電磁波」 というカテゴリーがあって、すでに30本の記事がある。いずれも電磁波の危険性を訴えるものだ。そういうブログの主(ぬし)としては、人工的電磁波の土台というべき 「電気」 が19世紀末期から世界を覆い始めた歴史についてはとても無関心ではいられない。

 

原題の 「電流戦争(The Current War)」 とは、アメリカで1880年代後半の電力事業黎明期に、電力(発電・送電・受電)システムの違いから、ジョージ・ウェスティングハウス、ニコラ・テスラ陣営と、エジソン・ゼネラル・エレクトリック・カンパニーを率いるトーマス・エジソンとの間に発生した確執や敵対関係のことである。

邦題を 「電流戦争」 とせず、「エジソンズゲーム」 としたのは、同じカンバーバッチ主演の 「イミテーションゲーム 原題:Imitation Game」(2014) の日本での見事な踏襲である。

「イミテーションゲーム」では、第二次世界大戦中にナチスドイツの暗号解読で活躍したイギリスの天才数学者、アラン・チューリングが主人公であった。

ところが、「イミテーションゲーム」の10年前には、BBCの「ホーキング」(2004)というTVドラマで、同じカンバーバッチはすでに天才物理学者、スティーブン・ホーキングを演じている。

どうやら、知的天才というと、カンバーバッチが担ぎ出されるようになっているかのようだ。

 

 

エジソンは “直流式” を、ウェスティングハウスは “交流式” を推し進めようとしていたが、結果的にはコスト、変圧の容易さの点で “交流式” に軍配が上がり、 “直流式” のエジソンは破れる。ウェスティングハウスとニコラ・テスラの “交流式” が世界標準となって普及し、現代に至る。

主な登場人物は、トーマス・エジソン、ジョージ・ウェスティングハウス、ニコラ・テスラ の3人である。その他にはエディソンの妻や秘書、ウェスティングハウスの腹心の技術顧問などがいる。

さて、電気や電球が普及する前はニューヨークやロンドンの夜は真っ暗だったかというと、そうではない。白熱電球がイギリスで発明され、エジソンがアメリカで改良して普及するまでは市街では “ガス灯” が19世紀半ばにはかなり普及していた。室内照明としては長いことロウソクやオイルのランプが主流であった。

 

エジソンの人間像

さて、観客は作品の序盤から、天才発明家エジソンの、“常軌を逸した行動” を目撃することになる。ウェスティングハウスとの会食の約束をわざとすっぽかす。交流式の危険性を訴えるネガティブキャンペーンとして、馬を交流電流で感電死させる実演をあちこちで開催する(犬、猫、象も使ったという記録がある)。競争相手を陥れるために裏で手を伸ばして卑劣な工作をする。エジソンの会社に就職した有能ではあるが移民のニコラ・テスラを馬鹿にして騙す、といった、“エジソンの、人間的に見下げたところ” がむしろ “見どころ” かもしれない。そう思って鑑賞するのが正解の映画である。

決して “天才発明家の賛美” の映画ではない。むしろ “英雄神話破壊” の作品である。「偉人とされているが、こんなヤツだった!」 という話である。

 

ポスターのイメージでは、“理想に燃えた天才発明家 vs 金の亡者の実業家” のような印象を受けるし、実際そのような狙いで作ったポスターであることは間違いない。

しかしこれは、敢えてエジソンについての世間一般の表面的なイメージを利用した、意図的にミスリーディングなポスターなのである。つまり、天才発明家の人格的な欠陥、独善的で狭量で、名声に酔ってモラルに欠けたエジソンのマイナス面 をスクリーン上で観客の前に徐々にさらけ出してショックを与えるために、あらかじめポスターで油断させているのだ。

 

逆説的キャスティング

理想に燃えた世間知らずの天才を思わせる、ベネディクト・カンバーバッチ のその優しい眼差しと甘い口元が逆説的に効いている。

いっぽう、エジソンの敵(かたき)役とされている、ジョージ・ウェステイングハウスを演じる マイケル・シャノン は、ポスターでもすでにそうだが、誰が見てものっけから悪役っぽい印象がある。

眉間のシワと太い眉の面構えには、“生き馬の目を抜く熾烈なビジネスの世界に生きる資本主義の権化” のような印象がある。“稀代の天才発明家を食い物にしてのし上がってやろうという腹黒い狡猾な悪役” であるかのような先入観を、巧妙に観客の頭脳に流し込んでいる

 

しかし、実際のジョージ・ウェスティングハウスは、 “凡庸ではあるが、実に常識的で温厚な、まともな紳士” だったようだ。

 

この映画のキャスティングでは、エジソンの敵役として、わざと悪役っぽい、腹に一物あるような俳優を起用しているのだ。こうして “意図的に作りあげられた虚構の対立図式” を中心にストーリーは展開する。こうした表面的ではあれ、善悪の対照、対立、対決 はドラマを盛り上げて観客を引き込むための映画作りの定石である。

「善人ばかりでは何も起きない。悪人がいてこそ世界は動く。悪人がいなければ、作ればいい。」これがハリウッドの哲学である。

 

この映画のストーリー展開においてもそうだが、実際のウェスティングハウスは当初からエジソンに対して敬意を抱き、彼に手を差し伸べ、協力関係を築こうと努めている、良識ある善良なビジネスマンなのだ。

しかし、エジソンはすでに築いていた自分の名声にあぐらをかき、自分の狭量なプライドからウェスティングハウスの手を払いのけ、独善的に “直流方式” に邁進する。そして、いよいよこのままでは勝ち目がない状況になると、陰で汚い手を使ってライバルを陥れ、出し抜こうとする。

 

映画では一見悪役に見えるウェスティングハウスは、ドラマの中ではちっとも攻撃的ではないし、エジソンに対して意地汚いこともしない。いっぽう一見純粋な理想家であるかのようなエディソンの方こそ、卑劣なえげつない策略を弄して、ライバルを蹴落として自分の成功を図ろうとする。

発明家というのは小細工を使って目的を達成するのが得意なのかもしれない。しかしエジソンの場合、目的のためには善悪の境界も超えてどんな手段でも使ってしまうところがあったようだ。そのくらい徹底した完璧主義者だったからこそ、多くの発明を残したのかもしれないが。

エジソンを演じる ベネディクト・カンバーバッチ と、ウェスティングハウスを演じる マイケル・シャノン はどちらも容貌のイメージがその行動、言動に噛み合わないのだが、そこがむしろ監督の狙いなのである。

その意外性に、そのギャップに、観客は頭の中で折り合いをつけることを求められながら、映画に引っ張られていく。この映画監督は観客に対するこうした心理操作によって人物像に深みを与えることに成功していると言えるかもしれない。

 

 

さて、この二人のあいだで才能を持て余していたもう一人の登場人物が、ニコラス・ホルト演じる ニコラ・テスラ である。

ニコラ・テスラという謎めいた人物は、この一人だけでも優に映画になるキャラクターであることは言うまでもない。実際、ニコラ・テスラという稀代の夢想家を主人公にした映画は今までに何本か作られている。しかし、今回の映画では エジソン vs   ウェスティングハウス がメインであるために地味な脇役に終わっているのは残念であるが、仕方あるまい。あまり描き込んでしまうとエジソンが食われてしまうであろう。

 

 

 

 

 

たしかに、ストーリー構成上、ニコラ・テスラにあまり存在感を与えるわけにはいかなかったのは理解できる。

しかし、このニコラス・ホルト演ずるニコラ・テスラは、あまりにも存在感が稀薄である。洒落者の優男(やさおとこ)として出てくるのがどうも頂けない。女性ファンを映画館に呼び込むために二枚目の人気俳優を起用しただけという印象だ

配役としては、何とかニコラ・テスラ的な夢想的でメランコリックな眼差しの俳優を持ってきて欲しかった。

19世紀的な憂愁を湛えた眼差しがどうしてもこの映画の脇役に必要だったと思う。

 

その意味では、ベネディクト・カンバーバッチ演じるエジソンも19世紀的とは言えない。

いくら葉巻をくわえても、その眼差しはニコラス・ホルトのニコラ・テスラと同じで、やはり21世紀の人間にしか見えない。これは単にヒゲがあるかないかの問題ではない。西洋の19世紀末の時代精神(Zeitgeist)にはメランコリックな憂愁が瀰漫していて、それが人々の眼差しに反映していたのだ。

 

1980年代の映画 The Secret of Nikola Tesla  では、以下のような俳優がニコラ・テスラを演じている。悪くないと思う。しかし、最近のハリウッドの歴史ものの映画は、歴史上の人物のイメージに合った俳優よりも、その時その時の人気俳優を無理やり起用する傾向があるようだ。

 

 

他の大勢の脇役の中には、19世紀的な雰囲気を十分に醸し出している俳優が結構出てくるだけに、特に ニコラ・テスラ のキャスティングは残念に思う。

 

 

トーマス・エジソン vs   ニコラ・テスラ

もともと交流派であったニコラ・テスラは、直流派で頭が凝り固まっていたエジソンとは半年ほどで離反して、同じ交流派のウェステイングハウスと手を組むことになる。その後ニコラ・テスラはめきめき頭角をあらわし、自分の会社を作り、充実した研究所を構える。電力事業の世界では交流式が制圧する見込みが強まり、エジソンにとってニコラ・テスラは自分の名声や地位を脅かす我慢のならない存在になってきたに違いない。

 

今回の 「エジソンズゲーム」 では出てこないエピソードではあるが、そうした或る日、ニコラ・テスラの研究所が夜間に全焼してしまう。放火の疑いがあったが、犯人は見つからなかった。エジソンが密かに放火犯を送り込んだ可能性は十分にあると言われている。少なくともニコラ・テスラの研究所が全焼して、すべての実験器具、試作品、設計図、ありとあらゆる書類が灰燼に帰して、いちばん溜飲を下げたのはエジソンであったであろう。

 

 

 

現代の “テスラ”?

さて、“テスラ” という名前の電気自動車(EV)がある。イーロン・マスク という億万長者のエンジニアが売り出した自動車で、すでに日本でもかなり走っているようだ。

車名の “テスラ” は、言うまでもなく発明家の ニコラ・テスラ にちなんでおり、イーロン・マスクはこの不世出の天才発明家を特に尊敬しているとのことだ。

このイーロン・マスクという男はEVとは別に、“スペースX” という会社を持ち、“スターリンク計画” を実現すべく2018年からすでに422基の衛星を打ち上げている。

低コスト・高性能な衛星バスと地上の送受信機により、衛星インターネットアクセスサービスを提供することを目的とするそうだ。将来的には 1万2千基の衛星によって地球を覆いつくす計画 だそうだ。

エジソンやニコラ・テスラの時代には、電気や電磁波が人間の健康や生命全般に及ぼす悪影響についてはほとんど知られていなかった。ニコラ・テスラは19世紀から20世紀にかけて電気ケーブルを使わない遠隔的な送電システムを構想していたという。

すごいというより、恐ろしいと言うべきだろう。確かにケタ外れな発明家ではあったが、生物学者でもなく、医者でもなく、電気や電磁波が人間の身体や頭脳にどういった影響を与えるかまでは考えず、単に電気の効率的利用を追求していた夢想家 だったのだ。

ニコラ・テスラの時代から130年以上も経た今日、この天才発明家の再評価の機運が高まるのに乗じて、イーロン・マスクという現代の寵児は、“テスラ” という “EV(電磁波漬けの棺桶)” を派手に売り出し、他方では成層圏の外側から地球表面に電磁波をくまなく照射するとんでもないシステムを構築し始めている。

人間の脳や健康が侵されるだけでなく、地球の自然環境を根底から破壊しかねない計画である。5Gどころの話ではない。

 

 

さて、今回の 「エジソンズゲーム」という映画には、電気というものが人間の歴史や人々の生活をどのように変えたのかが描かれていることを期待していたのだが、あいにくそういったシーンやエピソードはほとんどなかった。

電気のおかげで人間は幸せになったというあまりにも通俗的な電気神話 をそのまま前提にしていると言ってもいいくらいだ。

たしかに、今日のわれわれは、みな生まれた時から電気があるのが当たり前の生活である。現代のわれわれの生活も社会の仕組みも、もはや電気無しでは成り立たなくなっている。

しかし、そうだからこそ、電気のプラス面だけでなくマイナス面も、電気の恩恵だけでなく、その隠れた危険性も視野に入れるべきではなかろうか?

 

「エジソンズゲーム」 の時代から130年以上も経っていながら、ニコラ・テスラを気取った、電気と電磁波の危険性について無自覚なエンジニアが、今日、地球をオモチャにしているのが放置されている。

 

先月、イーロン・マスクに男の赤ちゃんが生まれたそうだ。

夫妻はその子に付けた名前をツイッターで紹介した。その名前は以下の通りである。

この男の “人間観” を如実に物語っていると言えるだろう。

コメント

  1. sy より:

    Unknown

    ザウルス様

    テスラ博士の地球システムは

    どう成ったのでしょうか?

    追究お願いします。

  2. ザウルス より:

    sy さま

    ニコラ・テスラは日本でも 「不遇の天才発明家」 としてかなり美化されており、崇拝者、賛美者が多いですね。モノづくりが得意な日本人の技術信仰に響くものがあるのかもしれません。

    しかし、エジソン同様、彼は 「生物学者でもなく、医者でもなく、電気や電磁波が人間の身体や頭脳にどういった影響を与えるかまでは考えず、単に電気の効率的利用を追求していた夢想家」  でした。

    電磁波の危険性、人間の脳や身体に対する悪影響はまったく彼らの眼中にありませんでした。考慮していたのはせいぜい 「感電死」 の危険くらいでした。

    エジソンの妻は電信会社のキーパンチャーでしたが、若くして脳の病気で死んでいます。今回のこの映画では単に史実に基づいたエピソードとして出てきますが、あとで調べると、当時の電信会社は当時としては電磁波にさらされる数少ない環境でした。彼女の珍しい脳の病気は電磁波が原因であった可能性があります。もちろん映画ではそういった含みは一切なく、単にエジソンが最愛の妻を失って打ちひしがれたという挿話です。

    今や5Gに包囲されかねない21世紀に生きる我々は、テスラやエジソンたちのような楽観的な電気万能主義を懐疑的に吟味する必要があるように思います。

    ニコラ・テスラがさも21世紀の未来を先取りしていたような、イーロン・マスクのイメージ戦略に乗せられないことです。

  3. Sy より:

    Unknown

    ザウルス様

    納得致しました、

    返信有り難う御座います。

  4. sy より:

    Unknown

    ザウルス様

    科学的専門知識は有りませんが

    私の理解内では十分納得いたしました

    有難うございます。

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