“複数” という概念
高校時代からずっと頭を離れない概念がある。それは “複数” という概念である。複数であることは、存在の根源的な様式なのではないかと思い続けてきた。
たとえば、動物は個体一つで存在するわけがない。世界に存在する言語は複数ある。民族も複数ある。遺伝子も複数ある。都市も複数ある。コップも世界には複数あるだろう。星も複数ある。同じ本が平積みになっている。梅の木に梅の花が複数咲いている。・・・
2017.05.13.
“固有名詞” とは?
複数でなく、単数でしかないものがあるのだろうか?固有名詞である。固有名詞の付くものである。いちばん“身近” なものは、人間である。名前という “固有名詞” を持った “わたし” である。しかし、やっと宇宙にたった一つの “かけがえのない” ものを見つけた、というふうにはわたしは思わなかった。“わたし” は、さまざまな性質や考えの束であると、わたしは考えた。つまり、それぞれが複数あるものから1つずつ集めてきた束に過ぎないと。
“地名”
人名以外の代表的な固有名詞として、“地名” がある。実は “地名” こそ、“固有名詞” の本質を明らかにする手掛かりを与えてくれるキーワードだったのである。
“人名” とは実は “地名” である。“場” の名前である。人名の付けられている人間は、さまざまな考えや性質がせめぎ合っている “場” なのである。一人の人間は、さまざまな要素が流動的にせめぎあっている “場” なのである。言うなれば、あなたは“ 村” であり、 “都市” である。あなたという一個の人間は、無数の要素が内部で不断にせめぎあっている “集合体” なのである。
2017.05.13.
すべての占い師は詐欺師である。
2017.05.16.
占い師のDNA
中学時代の友人の一人に父親が占い師というのがいた。岡田麻莉子という女優も相談に来るそうだった。中学生だったわたしも、「へー、すごいな」 と当時は思っていた。当の友人の兄は一級上だった。成人してから、正月に彼の家に行って、家族と一緒に話をするようになった。兄の方が父親に非常によく似ていることに気が付いた。話好き、自慢好きで、止まらないのだ。職業的な占い師にこそなってはいなかったが、周りの人間、特に後輩の相談によく乗っているそうであった。
しかし、わたしは彼の “話のうまさ” に非常に警戒心を掻きたてられた。これは父親譲りのDNAのなせる技というふうに直感した。占い師である父親の方は酒が入ると、自慢話が止まらない。そして、そのDNAは、わたしの友人の次男の方よりも、長男の兄の方により濃く継承されているように思えた。
占い師は、言うなれば、“人生の教師” である。占い師のもとに足を運ぶ人々は、人生における指南を乞いに行くのである。しかし、わたしがその業界を裏側から見た限りでは、占い師という人種は、単に口がうまく、言葉によって相手を支配することに無上の喜びを覚える人たちである。
彼らはそれぞれ手相とか、風水とか、四柱推命とか、星座とかいった “占いの体系” に基づいて、アドバイスしているかのようであるが、そうした看板は大した意味は持っていないのだ。目の前の生身の人間から得られる膨大な情報を元にして、そのクライアントが潜在的に求めているような “回答” を、自分が看板にしている体系の用語を使って上手に言葉にしてあげるのが仕事である。
2017.05.16.
自分の予想が外れたことをはっきりと認める占い師はいない。
2017.05.16.
言うべきことを言わずにいるという “不作為” には、ウソと同等の悪意がある。
2017.05.18.
日本人が “陰謀論嫌い” なのは、日本という国家にCIA のような国家的な諜報機関が存在しないことと無関係ではない。
世界の先進国はいざ知らず、発展途上国でも諜報機関を持っている国は少なくない。オーストラリア、ドイツ、フランスはいうにおよばず、中国、韓国、北朝鮮、タイ、インド、パキスタンにも存在するものが、日本には存在しないのだ。
日本は、世の中には “ウラ” があるという単純な事実が受け入れられない幼稚な大人がひしめいている国である。 「パパが置いたんじゃないよ、サンタさんがくれたんだよ!」 と言い続けている大人が仕切っている国である。
”オレオレ詐欺” “振り込め詐欺” といったビジネスモデルが成立するのは日本だけである。
2017.06.02.
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