排除の論理的優先性——進化の公理:電球モデルを使って

1.破壊、そして建設

前章までで、「自然選択」という幻想を徹底的に批判してきた。

ダーウィンの後悔、ウォーレスの警告、ドーキンスの退行。言語の三重の引力——部族主義的、二元的脚色的、トンネル的。選民思想という甘美なナルシシズム。

しかし、批判だけで終わるつもりはない。では、真実は何か。この章では、その答えを提示する。

 

2.たまたまの気づき——日常の観察から

私がこの問題に気づいたのは、いつだったかテレビで自然番組を見ていたときだ。アフリカのサバンナで、ライオンが一群のインパラを追いかけている。例によってけっきょく1頭が仕留められる結果になった。ドーキンスが繰り返す「自然選択」という言葉を思い出して、違和感を覚えた。自然は「選んで」いるのか?そうではないだろう。遅いインパラが「排除されている」だけではないか。

この単純な気づきが、すべての始まりだった。

ドーキンスが口を開けば繰り返すこの「自然選択」も虚心坦懐に言葉通りに受け取れば、自然が選択するということである。違うだろうか?ドーキンスがそれをどう定義しようと、「自然が選択する」ということだ。そうでないならば、この言葉でなく別の言葉を使うべきだろう。「自然選択」と言う以上、それはけっきょく次のようなことになる。2匹のコノハムシが同じ木の葉にとまっていた。AがBよりも木の葉にそっくりだった。そこで自然が言うのだ。「どちらも木の葉に似るようにがんばったけど、Aさんのほうが上手だったね。Aさんにはごほうびにもっと子孫を残せるようにしてあげようね」と。ここにあるのは努力と報酬という擬人的物語である。勝者と敗者という部族的物語である。

進化のメカニズムの説明に「選択」という概念を持ち込む限り、それはこうした物語を説得力の源泉にしているということだ。選択圧だの選択係数だのという専門用語で粉飾していても、けっきょくはこの擬人的で幼稚な論理に基づいている。しかし、この物語はそれなりに説得力を持つ。特に幼稚園の子供にはちょうどいい説明になるだろう。幼稚園児であろうと、集団遺伝学の教授であろうと同じ幼稚な人間中心主義のパラダイムで物事を見ているということだ。

 

3.日常言語での発見——選択と排除の非対称性

私は「選択」と「排除」という言葉にずっとこだわっていた。そしてあるとき「選択」という言葉を定義しようとしたときに、はたと気がついた。「選択」は「排除」という言葉を使わないと定義できないのだ。あれっと思ったが、実際そうなのだ。何度やってみてもできないのだ。

日常言語において、「選択」と「排除」は対称的ではない。

例:「私はAを選んだ」「私はBとCを排除した」

前者は、Aに焦点がある。後者は、BとCに焦点がある。

しかし、論理的には:「Aを選ぶ」=「BとCを排除する」

ならば、どちらが基本的なのか。

 

4.論理的先行性=論理的優先性?

「選択」と「排除」は、論理的に等価なのか。それとも、どちらかが他方に先立つのか。

この問いが、私を長い思索へと導いた。そして、ある日、答えが見えた。

排除は、選択に論理的に先立つ。

 

5.論理的証明:排除は選択を含むが、選択は排除を含まない

命題:排除は選択に論理的に先立つ

 

(1)選択とは何か

選択とは、複数の選択肢から一つ(または複数)を選ぶことである。

 

(2)選択の論理構造

「1, 2, 3, 4 の中から1を選ぶ」とは:

・1を受け入れる

・AND

・1以外(2, 3, 4)を受け入れない

 

(3)選択は排除を含む

「1以外を受け入れない」=「1以外を排除する」

したがって、選択は必然的に排除を含む。

 

(4)排除は選択を含むか

「2を排除する」とは:2を受け入れない

これは、1, 3, 4のいずれかを「選ぶ」ことを含意しない。単に、2が除外されるだけである。

 

(5)結論

選択 ⊃ 排除(選択は排除を含む)

排除 ⊅ 選択(排除は選択を含まない)

したがって、排除は選択に論理的に先立つ。

 

6.電球モデル——排除の物理的実在

排除の論理的優先性を、物理的モデルで考えてみよう。

目の前に4つの電球1, 2, 3, 4があり、すべてのスイッチがONで点灯している。

〔図A〕全点灯の状態(初期状態)——すべての個体が存在している

 

(1)選択のプロセス:左端の1つを「選ぶ」

これは何を意味するか。残りの3つのスイッチをOFFにすることである。

つまり:選択 = 3つの排除

 

(2)物理的に起きること

・電球2のスイッチをOFF

・電球3のスイッチをOFF

・電球4のスイッチをOFF

 

(3)物理的に起きないこと

・電球1を「選ぶ」という動作

電球1は、ただそのままである。他の3つがOFFにされた結果、電球1だけが残る。

 

(4)排除のプロセス

電球2, 3, 4をOFFにする。これだけで十分である。結果として、電球1がONのまま残る。「選ぶ」という動作は不要である。

 

(5)生存の物理的定義

生存とは何か:

進化における生存も、同じである。

生存 = スイッチがまだOFFにされていない状態

  

〔図A〕全点灯の状態 / 〔図B〕排除後の状態

 

電球モデル——消滅の保留と排除

 

電球モデルは、「自然選択」という語が前提としてきた方向性——自然が積極的に選ぶ——を反転させる。デフォルトは全点灯だ。すべての個体は、排除されるまで存在し続ける。点灯しているのは「選ばれたから」ではない。まだ消灯していないから、すなわち消滅が保留されているから点灯している。

〔図A〕全個体が点灯している。これが出発点だ。排除はまだ起きていない。

 

〔図B〕排除後の状態——消滅の実行

〔図B〕制約に違反した個体が消滅した。残った点灯は「選ばれた」のではなく、「まだ消えていない」。

スイッチはすべてOFFの位置にある——これが図の核心だ。点灯を維持するスイッチはどこにも存在しない。消灯させるスイッチもまた、「自然」という名の能動的主体が握っているわけではない。個体が環境の制約に違反したとき、回路が切れる。それだけだ。

「自然選択」という語はこの回路に「選択者」を幻視させる。「自然排除 Natural Elimination」はその幻視を取り除く。電球モデルはその差を一枚の図で示している。

個体は「選ばれて」生きているのではない。ただ、まだスイッチをOFFにされていないだけである。

これは「消滅の留保」である。

持続とは、スイッチがONのまま維持されることである。排除とは、スイッチをOFFにすることである。

この電球モデルは、進化の本質を物理的、論理的に示している。

今この本を読んでいるあなたは1個の生物として息をしている。それは生物としてのあなたの電球がOFFになるのが留保されているということである。そして、その電球の電源の電線をさかのぼるとあなたの両親、祖父母へとずっと伸びていて、何百世代も通電状態でずっとリレーされてきているのだ。あなたという電球が今ON の状態でいるのは、その電線がはるか昔から通電状態で伸びてきているからだ。その電線は人類誕生の時代も通電してきている。恐竜の時代や三葉虫の時代も通電して来ていて、ずっと通電したままあなたという電球までつながって点灯させているのだ。生命誕生の時点からずっと通電状態の無数の電線が無数に分岐しながら生命の歴史も人類の歴史も貫いて、今そのうちの1本の末端があなたという電球を奇跡的に点灯させている。しかし、その点灯は暫定的である。OFF になるのが留保されている、というのがより正確な表現かもしれない。

 

7.集合論的表現——より厳密な証明

この論理的優先性を、集合論で表現してみよう。

全体集合Uを、すべての可能な個体とする。

 

排除のプロセス:

D = {x ∈ U | x は制約Cに違反する}

S = U − D

Sは、排除の結果残った集合である。

 

選択のプロセス(もし存在するなら):

S’ = {x ∈ U | x は基準Bを満たす}

 

ここで重要な点:排除プロセスでは、Sを「選んだ」わけではない。Dを「排除した」結果、Sが残っただけである。

一方、選択プロセスでは、S’を「選んだ」。これは同時に、U − S’を「排除した」ことを意味する。

つまり:

選択 = 排除 + 選抜(能動的決定)

排除 = 除外(それだけ)

排除は、選抜を必要としない。選択は、排除を必然的に含む。ゆえに、排除は選択に論理的に先立つ。

 

電球モデルとの対応:

U = {電球1, 2, 3, 4}(すべてON)

D = {電球2, 3, 4}(OFF)

S = {電球1}(ON)

 

8.進化における排除の優先性

この論理的優先性は、進化において決定的である。

 

進化のプロセス:

全個体集合U

環境制約C(温度、湿度、捕食者、食料…)

制約違反個体D = {x | x は C に違反}

排除(D が U から除去される)= スイッチOFF

残存個体 S = U − D = スイッチがまだONの個体

 

このプロセスに、「選択」は存在しない。

あるのは:制約の存在、違反の判定、排除(スイッチOFF)

残存個体Sは、「選ばれた」のではない。「まだスイッチをOFFにされていない」だけである。

 

9.生存とは何か——ポジティブ属性ではなくネガティブ状態

この理解は、「生存」という概念を根本的に変える。

 

従来の理解(「自然選択」的):

生存 = 選ばれること = スイッチをONにされること

 

正しい理解(排除主義的):

生存 = まだ排除されていないこと = スイッチがまだOFFにされていないこと

 

前者は、ポジティブな定義。後者は、ネガティブな定義。

しかし、論理的に優先するのは後者である。なぜなら、我々が観察するのは:

・誰が選ばれたか(不明)= 誰のスイッチがONになったか(観察不能)

・誰が排除されたか(明白)= 誰のスイッチがOFFになったか(観察可能)

排除されなかった者が、結果として残る。それが生存である。

 

10.ポパーの反証可能性との驚くべき類似

ここで、科学哲学者カール・ポパーの「反証可能性」を思い出そう。

ポパーによれば:科学的真理とは、まだ反証されていないことである。

理論は:真であることを証明できない。しかし、偽であることは証明できる。反証されなかった理論が、暫定的に「真」とされる。

この構造は、進化の構造と同型である:

進化的生存とは、まだ排除されていないことである。

個体は:適者であることを証明できない。しかし、不適者であることは証明できる(排除によって)。排除されなかった個体が、暫定的に「生存」する。

 

両者の共通構造:排除主義

ポパー:真理は、反証の排除によって近づく = 誤った理論のスイッチをOFFにする

ダーウィニズム:生存は、不適者の排除によって実現する = 不適個体のスイッチをOFFにする

 

11.存在論的優先性——「ある」ではなく「まだ排除されてない」

この排除の論理的優先性は、存在論的な意味を持つ。

存在とは何か。

従来の理解:

存在 = ポジティブな属性 = スイッチがON

 

排除主義的理解:

存在 = 排除されていないこと = スイッチがまだOFFになっていない

 

我々が「存在する」と言うとき、何を意味するか。それは、「まだスイッチがOFFになっていない」という事実である。

存在は、ポジティブな属性ではない。存在は、ネガティブな状態——排除の不在——である。

 

12.認識論的優先性——観察可能性

排除の優先性は、認識論的にも支持される。

我々が観察できるのは:

何が排除されたか(スイッチがOFFになった)

何が残ったか(スイッチがONのまま)

 

我々が観察できないのは:

何が「選ばれた」か

 

なぜか。「選ぶ」という行為には、選択者が必要である。しかし、自然界に選択者は存在しない。

我々が見るのは:ある個体が死んだ(スイッチがOFFになった)、ある個体が生きている(スイッチONのまま)

「選ばれた」という解釈は、我々が後から付け加えた余計な物語である。観察されるのは、排除と残存だけである。違うだろうか。

 

13.ダーウィン、ウォーレス、ドーキンスの再点検

この排除の論理的優先性の観点から、再度三人を点検しよう。

 

ダーウィン:

「自然選択」= 論理的に二次的な概念(選択)を使用  = 誤り

 

ウォーレス:

「不適者の排除」= 論理的に一次的な概念(排除)を使用  = 基本的に正しい

 

ドーキンス:

「自然選択」の強化 = 二次的概念である「自然選択」を無謬化し神聖化した。

特にドーキンスからこんにちまでの約半世紀は論理的退行の歴史で、ダーウィニズムの正しい理解を妨げた。そのドーキンスは今や巨大な「つまずきの石」の上に鎮座している。

 

14.進化の公理

以上の考察から、進化の公理を定式化できる。

 

進化の公理:「個体は、致命的制約に違反すると排除される」

 

電球モデルで言えば:「制約に違反した個体のスイッチがOFFになる」

これだけである。これ以外に、何も仮定しない。

選択者を仮定しない。目的を仮定しない。最適性を仮定しない。

 

「ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきではない」——オッカムの剃刀。

 

あるのは:制約、違反、排除(スイッチOFF)

残りは、この公理の帰結である。

 

生存 = まだ排除されていないこと = スイッチONのまま

進化 = 集団における非ランダム排除の蓄積

適応 = 致命的制約を満たすこと = スイッチがOFFにならない

 

15.なぜ「自然選択」が魅力的だったのか

ここで、前章までの分析を振り返ろう。なぜ「自然選択」は登場してから160年以上も繁栄してきたのか。

答え:言語の制約(部族主義的、二元的脚色的、トンネル的)、選民思想という心理的快楽、ドラマツルギー言語(脚色言語)の魅力。

しかし、論理的には誤りだった。「選択」は、「排除」に論理的に先立たれる。進化は、選択ではなく、排除である。「選択」は幻想だったのだ。甘美な作り話だったのだ。

電球モデルが示すように、物理的に起きるのは排除(スイッチOFF)だけである。

 

16.結論——排除こそが進化の本質

排除は、選択に論理的に先立つ。これは、単なる言葉の問題ではない。これは、進化の本質に関わる問題である。

進化を理解するとは、排除を理解することである。選択を語ることは、進化を致命的に誤解することである。

電球モデルが示すように、生存とは「スイッチがまだOFFになっていない」という物理的状態である。

ダーウィンからの1世紀半を超える甘美な幻想を解くためには、排除のこの論理的優先性を認識しなければならない。排除こそが、進化の公理である。

 

17.次章への橋渡し——公理を求めての旅

しかし、この公理に到達するまでには、長い道のりがあった。

私がテレビでインパラを見たとき、ただ漠然とした違和感があっただけだった。その違和感から、この公理に到達するまで、何年もの思索があった。

次章では、その旅を語る。公理を求めての旅。それは、言葉のジャングルからの脱出の試みだった。

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